もう恋なんてしないなんて言わないよ絶対

 

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実際、この日記を書いた2ヶ月後ぐらいにはリアル恋人ができていた。

 

それからまた月日が経って、最近ようやく気持ちに整理がついたので、恐らくこれが2度目にして最後だと思われるガチ恋の記録を書き記そうと思う。

これはこのブログにおける最重要項ですが、人には人のガチ恋です。これはわたしのガチ恋の話です。

 

 

 

そもそもわたしは猛烈なときめき、稲妻が頭に落っこちないと「恋」とは認識しない、典型的なシゲタカヨコタイプで、ガチ恋は思い描く「恋」そのものだった。なんせ彼を初めてこの目で見たとき、彼らの持ち歌とドリカムの「うれしい!たのしい!大好き!」が脳内で同時再生されたほど、衝撃的な恋のはじまりだったのだから。

かなわないことが苦しい、つらい、だからこそ恋の実感がある。彼のために精神をすり減らして、彼に恋い焦がれるあまり眠れないまま朝陽を浴びたこともあった。恋に無心されればされるほど恋に溺れていける、巷で言うなればメンヘラなのかもしれない。

 

わたしは本当に彼のことが好きだった。携帯小説家にでもなれると思った。男という生命体の中で彼の顔が一番好き、彼の肩幅が好き、身体の厚みが好き、笑い声が好き、動物を撫でる手が好き、周りをよく見ていてたくさん気配りする優しい大きな器が好き、もう好き、好きしかなくて。ワー、泣けてきた。好きすぎてずっとふざけてた。超、超超超すきで、好きすぎて、どこかでわたしのアカウントが運悪く見つかったりしたときに激重って思われたくなくて、一生懸命ふざけてツイートした。でもめっちゃめちゃ好きで、好きで。結婚したいな。一緒に役所行きたいな。一緒に人生を歩めたらな。

なんで報われないんだろうって、だんだん慎ちゃんのこと見るのがつらくなっちゃったりもした。わたしのことなんて、知らないよね。慎ちゃんのことが好きだから"ファン"って認識されたくなくて、コンサートで慎ちゃんが近くに来ても慎ちゃんのこと一回も見れなかった。運良くトロッコで近くを通るときは毎回どうかむこう向いててくださいってひたすらお願いして、なのに汗の滴る首筋をずっと見つめているのも切なくて哀しくて、やっぱり好きで。双眼鏡で覗かないと表情なんてわからないぐらいの距離が、一番心地よかった。

もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった

いたって純な心で 叶った恋を抱きしめて
「好きだ」とか無責任に言えたらいいな
そう願っても虚しいのさ

虚しくはないけど、虚しくはないけど。と思いながら、騙し騙し、でもそれでも好きで。ものすごく好きで。マジで世界線選べたらよかったのになって泣き腫らしたりもした。なんでわたしはとびきりの美少女に産まれてアイドルになれなかったんだろうとか、世の中舐め太郎で本当に申し訳ないんだけど接触するためにヘアメイクとかそういう道に進めばよかったとか、出会わなくても結婚に導ける呪術はないのかネットで調べたり、ファンと付き合ったアイドルとかそういう類の記事を読み漁ったり、なぜか復縁本を買ってみたり、あちこちの占いに行ったり。側にいたくて。本当にただの恋だったよ。

慎ちゃんのことめちゃくちゃ好きだった。本当に一生分の恋だったよ。慎ちゃんへの気持ちに気づいてから約1年間、本当にめちゃめちゃ幸せで、とってもつらくて、本当に本当に本当に楽しかった。

 

でも、心のどこかで絶対にかなわないと思っている一番好きな男と自分の人生とを天秤にかけたときに、自分の人生がやっぱり重くて。急にこんな現実的な話するのはアレだけど。前回の記事みたいなきっかけがあったり、身近な人の結婚が立て続いたりして、この気持ちはどこへいくんだろうって考えることが増えた。

将来、慎ちゃんが別の誰かと結婚したら? そのときわたしは何歳なんだろう。わたしはまだ子供産める身体なのかな。かろうじて誰かにもらってもらえる女性でいられてるかな。慎ちゃんが好きだけど、結婚したいけど、好きなのに、好きになるほどつらくて。「好きです」すら言えない距離の縮め方なんて一向にわかりそうもないことがもの凄く哀しくて。

 

こんなに好きでも出会える世界線を選べないことを、わたしの生きる世界の恨めしさを受け入れなくちゃならないのかもなとぼんやり思いはじめたとき、突然こんなのを好きだと言ってくれる人が目の前に現れた。

君、あんなに慎ちゃんのこと好き好き言ってたくせにいいの?って思う反面、偉大なる中島健人大先生の真言葉がふとよぎった。慎ちゃんはゴールで待ってるのかもな、お互いの生き方で歳を重ねて、爺婆になってからゲートボール場で偶然出会ったりするのかな なんて思い始めて、そういうお告げなんだろうと受け入れた。内心、生半可な恋じゃなかったからこそ、慎ちゃんのことが本当に好きで、本気で結婚したかったからこそ、もうガチ恋やめたかったんだと思う。

 

慎ちゃんじゃない恋人ができて、その人とちゃんと向き合いながら2ヶ月経ってようやく、慎ちゃんへの気持ちに区切りがつけられるようになった。これだけ書いてたら全然説得力ないけど、慎ちゃんへの恋を断ち切るためだけの理由で、でたらめに付き合い始めたわけじゃないことは一応明言しておきたい。ついでに人間は(わたしは)勝手な生き物だって、つくづく思う。

 

恋がこんなにつらいなら、もう恋なんてしないと思うぐらいに、ほんとうにほんとうに慎ちゃんのことが好きだった。あーあ。好きだったなー。

 

 

ありがとう。

あー、恋をさせてくれてありがとう。ほんとうにありがとう。

 

来世での運命的な再会への望みだけはどうしても捨て切れないけど、なにも言わないでおいてください。

どこかであなたに会えたら、そのときは、胸を張ってあなたのファンですと握手を求めたいです。

あなたに恋をしていたから人生が素晴らしかったと言えるような、そんな人間でありたいです。

 

 

 

ありがとう。

あーー。好きでした。あーーーーーあ。好きでした。

 

 

 

慎ちゃんに恋して、よかったな。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

おしまい!

 

 

 

 

 

 

ガチ恋半ば

今、私はとあるアイドルに恋をしている。

恋(こい)とは、特定の相手のことを好きだと感じ、大切に思ったり、一緒にいたいと思う感情。 → 恋愛を参照。- wikipedia 

この感情を、とあるアイドルに抱いている。

かの有名なアニメ「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」にて、芽衣子が仁太に充てた手紙をご存じだろうか。

じんたんへ。

じんたんだいすきです。じんたんへのだいすきは、じんたんのおよめさんになりたいなっていう、そういうだいすきです。

そういう「だいすき」の気持ちを、とあるアイドルに抱いている。

 

でも本当に思いもよらない出来事から、予想外のところでガチ恋に立ち止まってしまった。

その日わたしは職場の健康診断を受けることになっていて、普通の健康診断に加えて、はじめての子宮頸がん検診も受けた。

 

ここで、申し訳ないけどわたしの恋愛遍歴も話さなくてはならない。

ひとつ前の恋愛をしていたのは二年前で、つまり彼氏が最後にいたのも二年前。クソ男だったけどわたしはその人のことが本当に好きで、粘着質な恋愛体質も相まって、吹っ切れるタイミングが来るまでその男を一年近く引きずった。つまるところ男女の営みをしていたのも二年前まで。

そいつを忘れるためとか普通に暇だったりとかして夜遊びもたまにしたけど、わたしの股の固さは巷(巷)では有名なほどで、みるみる処女膜の再形成を進めていたように思う。

そして、恋は突然やってきた。ラブストーリーは突然に、とはまさにこのこと。彼に抱く感情は他のアイドルとは違って、まさに恋だった。"好きな人"ができた。

彼のことを最初は「リア恋枠」と呼んでいたのに、彼のことを頻繁に目にするようになってから、その度にへんな胸の高鳴りがした。顔がいいアイドルはみんな好きなのに、彼だけはなにかが違う。これはもしや。でもそんな感情認められない、そんな葛藤を抱えながら、実物の彼を初めてこの目で見る機会がやってきた。この「好き」が、オタクとしてなのか恋愛感情としてなのか、はっきりさせようじゃないかという意気込みで臨んだ幕張。結果は言うまでもなく0対100で恋愛感情としての「好き」だった。

 

話は健康診断に戻る。

初めての婦人科、初めての子宮頸がん検診、なにもかもが初めてで緊張しきり。

下半身の身ぐるみを脱いで、もう担当の先生とは一生顔を合わせたくないと思うような格好を自動的にさせられ、あんまり鮮明にどこをどうやってたかとかはもう覚えてないけど、とにかくつっこんで、触診と内壁のなにかを擦りとるような、そういう内容の検診だったと思う。

 

その検診が、あまりにも痛かった。

声が出てしまうかと思うぐらい痛くて、反射的につまさきがビーンって伸びた。「力を抜いてくださいねー」とにかく放心状態だった。「しばらく血が出るかもしれませんけど、不自然なことではないので経過を見てくださいね」と説明を受けながら、あられもない姿で放心。

こんな痛いってことは、やっぱわたし処女なの?マジでまた膜張っちゃったの?

待合室でそんなことを考えているうちにいろんな処理は終わって、わたしは帰された。

放心状態で職場に帰る。痛い。その日、薄いグリーンのパンツを履いていたから、後ろが血だらけになってないか心配しながらちょっとガニ股で職場へと戻る道を歩く。結局血は一滴も出なかったけど痛い。お尻を確認する私の姿がコンビニのガラスに映る。哀しい。

その日から、こんな些細なことがきっかけで、私はガチ恋に立ち止まってしまった。

 

次の子宮頸がん検診も、こんなに痛いのだろうか。

 

わたしが好きな人はアイドルで、紛れもなくこの感情は"恋"だ。

変な意味じゃなくて、と書く余裕すらないというか、もう恋の成功なんてそういう意味なんだからこの際どうでもいいけど、子宮頸がんの検診が痛くならないようなそういうことをするような関係になるとしたら、それはどれぐらいの確率なんだろう。わたしはまた、こんなに痛い思いをしながら、パンツが血だらけになっていないかソワソワしながら職場に帰るのだろうか。

実際、痛みの強さは性交渉の有無とはさほど関係ないらしいことまで調べてみても、気は晴れなかった。

 

恋はたのしい。ものすごくたのしい。恋はきらめきだ。好きな人がいるだけで、ありふれた生活が輝き出す。

だけど、わたしは一体、なにを目指して恋をしているのだろうか。

だからといってこの気持ちを抑えることはできない。そんなことができたら、わたしはアイドルに恋をしない。

恋って、なんでこんなにつらいんだろう。いつか、いつか、と思い描きながら、わたしはいつまで彼のことを好きでいるつもりなんだろう。

わたしはひとりで死んじゃうんだろうか。みんな死ぬときはひとりだけど、それまで、それこそ子宮頸がん検診なんて必要ない状態を、死ぬそのときまで維持し続けるのだろうか。セックスしないで子供を産み育てたい。とにかく痛い。もう子宮も股も心もなにもかもが痛い。だけど、私は恋をしている。恋を止められない。

 

ガチ恋、どうすればいい?